Tied主催によるディベートイベントTiedDebate03「模倣と創造性」を、2015年12月18日(金)に開催しました。今回のゲストはunit3s design 代表、TEDxKyotoコミュニケーションチームリーダー・クリエイティブディレクターの三ツ木 隆将さん、建築家 / design SU 代表の白須 寛規さん。
ディベートというタイトルですが、前半はディベーターは賛成・反対に常に固定せずに、比較例それぞれに対して「創造的か?」という観点から賛否を表明してもらい議論するという形で進めました。
「模倣は創造か?」というテーマ
模倣というプロセス無しに、人は何かを生み出す事ができるのか。エンブレム問題によって顕在化した創造における模倣という行為は、クリエイティブに携わる全ての人にとって大きな波紋を投げ掛けました。
今回のTiedディベートでは、模倣という切り口を通して創造とは何かについて議論しました。模倣について考えることで、創造という捉えどころのない行為におぼろげながらも輪郭を描く事ができるのではないでしょうか。
最初はTiedのメンバーが選んだプロダクトや建築、アートなど問題提起となる例を挙げながら、二つの比較が「創造的」かどうかを議論します。
比較例_1 iPhoneとGalaxy
左は2009年にAppleから発表されたiPhone。それ以前の携帯電話を根本から大きく変えました。対して右側はiPhoneのおよそ一年後に発表されたSamsungのGalaxy。
iPhoneの開発のために費やされた時間や創造されたアイデアに対して、Galaxyはあまりに安易にコピーしている点を多くのディベーターが指摘します。
そんな中、肯定側はそうした負の面を認めながらGalaxyによる功績を指摘します。はさみやナイフといった道具の形状自体を真似することに違和感が無いのと同様に、人類全体が享受すべき素晴らしいツールとなる「発明」は、積極的に模倣されるべきだという主張でした。
実際、iPhone以後スマートフォン市場を見渡せばiPhoneの「発明」を踏襲したものばかりが見受けられます。Samsungがここまで明確なコピーを出さなければこういった状況は変わっていたかも知れません。
それに対し、発明の普及という功績はあるとしても、あまりに意図的な模倣はやはり問題だ、自らの創意工夫を放棄してただ似せるという行為は「思考停止」なのではないかと反論が出ました。また、オリジナルに対する「敬意」がみられるかどうかという点についても反対意見が出されました。
比較例_2 建造物の比較と創造性の芯について
次の例は高層ビルの比較です。左は1973年に竣工されたシアーズ・タワーと、右はおよそ30年後の泉ガーデン。
この例で特徴的だったのは、グラフィック・プロダクト系のメンバーは両者が別のもの(それぞれに創造的だ)という解釈だったのに対し、建築系のメンバーは模倣であるとした点です。
否定側が問題だと指摘するのは、建物を上から見たときに「9つのグリッド」に分割して、それぞれのボリューム(高さ)を変えるという手法が両者とも同じである点です。高層ビルでありながら視覚的なボリュームを調整可能にした「9 Grid」という手法は、この建造物の創造性においてもっとも重要な「芯」となる部分だと主張。その「芯」を模倣する事は問題だという視点を投げかけました。
一方、こういった「創造性の芯」という要素は、専門的な視点でなければ読み取れ無いケースも多いはずです。見た印象だけではなく、受け手側のリテラシーも求められるのではという議論に発展。
高層ビルの比較では、「創造性の芯」と受け手側のリテラシーについてがキーワードでした。
比較からみる「創造性」のとらえ方
これら二つの例は、1602年の俵屋 宗達「平家納経 願文」と1986年の田中 一光氏による「JAPAN」ポスター、ダヴィンチのモナリザと、その複製を元に発表されたのデュシャンによる『L.H.O.O.Q.』。この二作品は参照元に対してそれぞれ400年近い歳月の後に発表されたものです。
これらの例に対しては、ほとんどのディベーターが「創造的」という好意的な意見でした。
肯定的な意見としては、参照する行為自体が、数多くある選択肢の中からそのオリジナルを選択したのであり、その点でオリジナルに対する敬意が見られるのではないか、という主張。加えてAppleとSamsonのように同時代で競合状態にあるわけではなく、400年近く歳月が経っている点自体が参照される対象として問題ではないのでは、という点も議論されました。
これまでのキーワード以外に、作品が発表されてから、どの程度の歳月が経過したのかという時間という新たな視点が得られました。
ディベートを経てディスカッションへ
前半はいくつかの比較例を通じ「創造的」かどうかという点から、賛成・反対意見をディベート形式で議論し様々な視点を得ることが出来ました。
イベント後半では、それらの視点を元にディスカッションに移ります。
当初は「模倣」にまつわる言葉リストにあるような、段階的な行為のグラデーションの中に、なんとなく合意できそうな境界線が見いだせるのではという思惑がありました。しかし前半のディベートでは、こうした行為の裏側に隠された姿勢や思想にこそ、「創造性」の本質があるのでは、という全く別の視点が抽出されたように思います。
TiedDebateにおける「創造性」への視点
引用:http://toro.2ch.net/test/read.cgi/anime/1373122666/
ディスカッションのハイライトは「アニメーション」におけるキャラクター表現でした。
上記のイメージは「金髪・赤リボン」で表現されたキャラクター一覧です。Tiedのほとんどのメンバーは、これらのキャラクターの識別ができませんでした。
こうした「識別できない」差異に創造性が宿るのか、という意見が出る一方で、前半のディベートでも出た、受け手側のリテラシーについて再度議題に挙がります。
意図が理解できない事自体はやむを得ないが、自分の理解を超えた作り手の意図が「あるかもしれない」という姿勢を持つ事が、安易に批判することへの抑止力につながるという提言です。
また、「金髪・赤リボン」は、そのキャラクターの「属性」を現すにすぎず、キャラクターの本質は物語の中での役割に負うところが大きいという意見が出されました。
この点は、「創造性の芯」という部分に大きく関与するもので、創造とは、単なる外観の美醜だけに依存するものでは無いという点で非常に示唆に富むものでした。
結論にかえて・おわりに
◉敬意と思考停止
◉創造性の芯
◉時代を超えてのこる
TiedDebate03で見いだされた3つの視点は、それぞれが独立したものではなく相互に影響しあう複雑なものでした。どれかひとつが明確だから問題無いという事では無く、複数の視点から捉える事の重要性も議論されました。
一方的に「似ている」からという理由で問題視するのではなく、その表現の奥にある創造の意図やオリジナルに対する敬意についても思いをはせる事も大事だと考えます。
様々な環境やツールが提供される中で,創造するという行為の広がりを否定するよりも、より広い視点で見守りながら、創造性について考え続ける事が重要だと再認識しました。
モラルやルールを超えて、真に創造的なものとはどのようなものか。
全員が納得する結論を出すのは簡単では無いですが、TiedDebate03でディスカッションされた3つの視点が、皆さんにとっての「創造性」を考える契機になればと思います。
当日お越し下さった皆様、ゲストの三ツ木さん、白須さんに改めて感謝します。ありがとうございました。
次回は2016年2/26(金)「DIY考」です。
Do It Yourself と言われるこの行為は、インターネットによってノウハウの共有が便利になって以降、多くの分野で広がっています。自分の好みのものを自分のために創るという個人的な活動が、Fab labなどの登場によって、社会的な認知を得て、運動として広がるほどの機運を見せています。
そういった状況の中で、DIYが社会に対してどのような影響を与えるか、という点を皆さんでディベートできたらと思います。
是非ご参加ください。